2011年4月6日水曜日

依存と非依存

Daiです。

今日から4月ということもあり、通勤の行き帰りで
桜が咲いているのをちらほら見かけるようになりました。

これからは休日などはお花見をする人たちで賑わい始めていくのでしょう。

私の地元では桜が咲き始めるのはだいたい1月後のゴールデンウィーク間近なので
この時期に桜を見るのはなんだか新鮮な気分です。


さて、今回はちょっとまじめな話を。


依存

という言葉。

みなさんはどう考えますでしょうか?
この言葉に関して考えることはありますでしょうか?

私は仕事でいろいろな企業に 「出向」 という形で働いているという関係上
大小様々な組織を見る機会が多いため、結構考えることがあります。

また、今年大きな転機を迎えるということもあり、考える機会が増えたようにも感じます。

とはいえ、私自身「依存する」ということは悪いこととは思ってはいません。

身近なものでは学校や会社、大きな枠だと国・地域・政治などなど、生きていく上で
絶対になにかしらに依存しているはずなので。

実際問題、そうした方が自分自身は ”楽” ですからね。


ただ、私がダメだと思うのは「依存する」ということをはき違えることだと思います。


「依存する」 = 「任せっきりにする・他人任せにする」


ということではないと思うのです。


組織に属す以上、リーダーに物事の最終的な意志決定権があるのは
確かだとは思うのですが、だからといって


自分の意見なしに


リーダーに頼ってしまうのはどうなのかな?と思うのです。

今の自分もさほどできている訳ではないので、偉そうには言えないのですが
意識として持つだけで過去の自分よりはましになったとは思っています。


「自分の意見なしに」

この習慣が続くと、間違いなく「考える」といったことができなくなっていくと思うのです。
そして、一度なってしまうと直していくのはものすごく大変です。


ビジネス書で書かれたり、会社でよく聞く

「指示待ち人間」

というのは「考える」ことをしなくなっていった積み重ねでなるのかなぁと思ったりもします。
全てがそうなのではないのでしょうけどね・・・


そういう方は実際に自分自身がリーダーの立場にたって視点で考えれば
いろいろと気づくことがあるのではと私は考えるのです。


Aさん:「○○という問題があるのですが、どうしましょうか?」

Bさん:「○○という問題があります。私は△△だと考えるのですがどうしましょうか?」


問題があるときの相談のケースを例にとりました(極端かもですが)が
自分が相談される側だとしたらどちらがいいでしょうか?

私は断然Bさんの方ですね。


間違っている、間違っていないに関係なくそちらの方がお互いにとって
よりよい話ができますし、解決の糸口もみつかりやすいことでしょう。



考えること・学びをしなくなった時点で 成長 はとまってしまいます。


私は「致知」という雑誌を定期購読しています。

この雑誌では大手企業の社長をされている方や会長をされている方、
さらにはいろんな業界で有名な方々などの対談の話が載っています。

いわゆる 人間学 を学ぶための雑誌です。
※ 知っている方は知っていると思いますが。


その中に登場される70代、80代になる方々が揃って

「学びは終わらない」
「人生死ぬまで勉強」
「まだまだ知らないことが多い。学ぶことはたくさんある」

といったようなことを話されます。


社会で活躍されてきた(いる)、人生の大先輩の方々でさえこのように話されるのです。
私も含め、若い年代の方はまだまだ「学ぶこと・知るべきこと」だらけなんだろうと感じます。


繰り返しになりますが(自分言い聞かせも兼ね)


考えること・学びをしなくなった時点で 成長 はとまってしまいます。


仕事だけに限らず、自分のぶれない 考え(芯) を持った生き方をしたいものですね。

少なくとも私自身はそうありたいなと。そういう生き方って格好いいですからね♪


ちょっと後半話がずれているようにも思えますが、ちょっとまじめな今回の内容でした。


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Daiの徒然日記 http://toproad-way.blogspot.com/