致知ネタ連続になってしまうのですが。。。
先月の21日、致知出版社が主催する
5月度、『致知』読者の集い
に参加をしてきました。
内容はタイトルにあるように
特別支援学校(旧・養護学校)の教諭であった
山元加津子先生 の講演会でした。
「みんな大好き」 という演題で、内容は特別支援学校で接してきた
障害を持った子供たちとの実体験に基づくエピソード(2つ)と
病気で現在も治療を行なっている同僚だった先生の話でした。
どの話も感動もので、会場はすすり泣きのオンパレードでした。
その話の中で、共通してでてきたのが
「想いを共感するにはお互いの距離が離れていてはいけない」
「どんな人でも(障害を持った方であっても)、想いは持っている」
というものすごくシンプルなことでした。
やはり、どんなに綺麗事を言ったところで、健康な人には障害を持った方の
気持ちというのはわからないですし、差別とかをするつもりは一切ないのですが
障害を持った方に対して、よい印象というのを持たない方がいるというのも事実です。
実際、山元先生の話の中でも、そういう話はでてきました。
なので
障害を持った方が様々な想いを持っていること
や
健康な人と障害を持った方の想いが通じる
といったことはないのだろうと思うかもしれません。
しかし、そんなことはなく、話を聞いていると、むしろ健康な人よりも
強い想いを持っているのが現実だったりするのです。
ただ、それを上手に伝えることができないだけで。
そのいい例が、元同僚で親友でもある先生(宮田先生:愛称「宮ぷー」)の話。
どんな話かといいますと
その先生は、もともと健康な方でした。
しかし、ある時「脳幹出血」により、倒れてしまいました。
詳しい話は私はよくわからないのですが、脳幹出血になると8~9割の
確率で亡くなってしまう。一命を取り留めたとしても、植物状態になってしまうのだそうです。
その先生は一命はとりとめましたが、植物状態となり、話すことも
自分の意志で体を動かすこともできなくなったのです。
みなさんは植物状態と聞くとどんなイメージを持ちますか?
きっとあまりいいイメージは持たないのではないかと思います。
実際、私もそうでした。今回の話を聞くまでは。
植物状態になったとしても、「想い」はもっているそうです。
なってしまった方は伝えようとしているそうなのです。周りがそれに気づかないだけで。
宮田先生はその後、山元先生の看病・介護のおかげで意識を取り戻しました。
話すことができないので意思伝達の装置(レッツ・チャット)を使って会話もできるそうです。
また、1人では無理ですが、車イスに乗る訓練もしているそうです。
本も出版されたそうです。
満月をきれいと僕は言えるぞ/宮田 俊也
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これって奇跡なのでしょうか?
多少はそうかもしれません。けれど、山元先生が宮田先生が
「自分の意思を伝えたい」
ということに気づき、その想いに共感・共有しようとしたからなのだと
私は話を聞いて感じました。
宮田先生は言ったそうです。
「生きているって素晴らしい」
と。
私はその言葉を聞き、健康でいると生きていること・命があること・日常生活ができることが
当たり前だと思ってしまいますが、もっと感謝をしなくてはいけないのだと思いました。
最後に山元先生は言いました。
「今回の話を聞いたことで、どんな人でもどんな状態でも「意思」「想い」を
持っていることを知り、言葉以外で意思を伝える方法があることを知りました。
しかし、自分だけが知っているというのだけではダメです。
(物事を)知っている人には責任が伴います。
そのことを周りに伝えていくということが大事なのです」
と。
私も含め、今回縁あってこの記事を読んだ方も
「知って」しまいました。
なので、ちょっとでもよいので周りに伝えるという気持ちを持って頂ければと思います。
雑文になってしまいましたが、講演会はそのような内容でした。
しかし、年を重ねたせいなのかもしれませんが、講演会が終わったあとも
いろいろなことを考えてしまった1日でした。
6月も講演する方は違いますが、時間を作ってまた足を運びたいと思います。
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Daiの徒然日記
http://toproad-way.blogspot.com/